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私は生きている って 証明の言葉たち。
2024/11/23 (Sat)05:04
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2008/02/27 (Wed)11:02
が明けて二ヶ月三ヶ月経ってからようやく会う人にも「明けましておめでとう」って言っちゃう感覚が良く分からない。あれは正月限定のものじゃないのだろうか?年賀状でも出してれば違うのかもしれないけれどそういう事を言う人はたいがい探り探りの挨拶になる。奇妙な光景だ。というよりそもそも年の瀬に対してそこまで畏まる必要があるのかねと言いたくなってくる。書類に記入する年数ぐらいは確かに変わるけれどやらなきゃいけない仕事は各々平等になにがしか与えられているはずでそれが別モノになるわけではないでしょう。時間は常に同じ速さで動き続けていてそれに並行しながら私たちは年を取っていく。ゆえに使える時間というものは限られているので何も生まれない無駄な時間ってやつが私は大嫌いだ。待て。もともと何の話だったっけ。そう「明けましておめでとう」の話だ。2月もいよいよ半ばを通り越して下旬と呼ぶべき日にちになったある日私は不意にその言葉を投げかけられることになる。相手はバイト先の後輩。年末年始はまるまる実家に帰っていて音沙汰なし。戻ってきたと思ったら誰かからもらってきた感じのウイルス性だとか何とかの高熱に倒れてシフトに大穴開けてしまっただらしない奴。いよいよ復活の日に挨拶がわりにふと言われて吃驚。そういえば私はこいつと1ヶ月以上も顔を合わせてないんだなあって。
最後に合ったのはだから去年の。あれ。何日かな。クリスマスは過ぎていたと思うけど。アイツが実家に帰る前日。忘年会がわりに同僚集めて鍋やって飲んで。明け方に同じ方向の始発に乗るからって寒々しい道を歩いてく途中で「寒い寒い」言いながら冷たい手を私の頬に撫で付けて。あんまり冷たかったから反射的に押し退けたけどアイツは「ホッペ温かいですね」って笑って。何考えてたんだろ全く。
その次に貰った言葉が「明けましておめでとう」になるわけだ。まるで忘れ物を届けに来たみたいに。去年の最後の言葉と今年の最初の言葉。そんな関係性を思うと実は年の瀬って悪いものでもないと思う。まさにカウントダウンの最中もレジ打ちしてた時は何やってんだろとか考えてたけど。
まあいいやって感じで素直に返してやった。

「明けましておめでとう」

アイツは笑った。

「っていう時期でもないですよねー」
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鈴原ちひろ
SUZUHARA CHIHIRO
1984/03/06 A XX

生きているからここにいる。

ここにいるから生んでゆく。

ただそれだけが私の全て。
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